ゲーム諸説

自分の中で諸説が飛び交っているゲームの話

理想のゲームシステムとしてのラノベ

ライトノベルの中でも、冒険や戦いをメインにした話を読んでいると、ゲームに影響を受けているというよりも、こういうゲームを作りたかったんだろうなと思うことが多い。自分で読んでいても、そうなりたいとか、感情移入するとかとはちょっと違う、このゲームやりたいなあ……という気持ちがある。

思い返すと、これとは逆の現象も起きてた。たしか90年代の後半ぐらいだったと思う。小説ではなくゲームという媒体を選ぶケース。会話文だけで話を進めても違和感がないし、キャラドットと顔グラフィックがあれば十分成立する。それに発表の場としてもゲームの方が都合が良かった。発表の場がないというか、ゲーム風小説という概念がなかった。

理想の世界を表現しようと思った時に、その媒体がどれかというのはあまり重要ではなく、その時代で一番適切な物が選ばれていて、ここ数年はそれがラノベだったのではないか。

ラノベのゲームシステム

異世界に行くとか、転生するとかは、ラノベをゲームに見立てて考えた場合はフレーバーな部分で、それとは別にゲームシステムに相当する部分がある。そしてある程度の方向性のようなものも感じられる。

実在のゲームに強く影響を受けた部分、実現不可能な理想の部分、そしてそのシステムの邪魔者。

レベルの形骸化

レベルがないわけじゃなく、むしろ何らかの形で強さを数値化しようとする傾向は強いけど、数値化した上でそれが無視されている。

ログ・ホライズンにしてもオーバーロードにしても、そのゲームの熟練者という設定で、主人公達のレベルは上限かそれに近い水準に達している前提で、物語が始まる。

これはその時代のゲーム事情と深く関係しているんだと思う。

ソードアート・オンラインではレベルの高さは最重要で、初日にクラインと別れて先を急いだのだってレベル上げが目的だった。Webでの連載が始まった2002年というのは、ラグナロクオンラインが出た頃の話で、当時はパーティーを組むと経験値効率が悪いというのはよくあることだった。

その後はレベルを上げた後を重視する方向に情勢が変わってきた。キャラクターが知恵を絞る、もしくは正確な操作を行うことで、ボスや敵対ギルドと戦う、対戦型ゲームに近い感じ。

そもそもレベル上げが楽になるような有料販売が当たり前になってるわけで、お金を払ってまで省略したいような作業を、わざわざ小説で読みたい人は少ないということだと思う。

フレーバーの具現化

その辺のゴミを拾って武器に加工するような事も、ゲームとして処理しようと思うを、それをゲームアイテムとして認識して、ゲームシステムで石の加工を可能にしなければいけない。でもそれをするためには最終的に物理法則全てをシミュレート出来るシステムが必要になる。結局はほとんどの部分がフレーバーとして処理されている。

実際においしい食べ物を食べられるというのは味覚の出力デバイスがないから無理。

NPCが意思を持って動き出すというのも、まだそこまでのAIはゲームに搭載されていない。MMORPGはAIの思考を人間に肩代わりさせたものだけど、人間が操作するからこその問題点もある、何万人もの人がいて、その全員が完全に役になりきってプレイ出来るかといえば、それもまた非現実的なシステムの範疇になる。

そういう実際ゲームでは難しかったことが、小説では可能になる。その作品のテーマと密接に結びついていることも多い。

運営者の排除

これも通常はゲームを成立させるのに必要な存在。科学技術が進んでゲームの形が変わったと仮定しても、それは変わらないだろうと思われる。

でも主人公の立場からすると邪魔者でしかない。劇的な冒険も結局は運営に決められた筋書き通りということになるし、筋書きから外れてたら修正が入るだろうし、最悪ゲーム世界から追放される。

ソードアート・オンラインは運営会社が正常に機能していれば起きなかった話。開発者が1人トラップを仕込んでいたとしても、強制ログアウトさせれば済んだ話だから。サーバーへのメンテナンスが不可能で、ゲーム内で死ねば実際に死ぬし、サーバーの電源を切っても死ぬ、でもゲーム内の運用はAIが全てにやっている……という状況を設定することで、デスゲームが成り立つようにしている。

ゲームの世界が急に現実化するというのも、ゲームのような異世界に行くという話も、運営会社の意図をしないトラブルだから、運営の干渉は受けなくて済む。行った先の異世界にも、その世界の神みたいな存在は居るかもしれないけど、超常現象ベースだから生々しさは薄れる。

ゲームのようなラノベのゲーム化

こんなゲームやりたいなあ、とは思うんだけど、じゃあゲーム化されたからやるかというと、そういうわけでもない。キャラクターやストーリーなどのフレーバーな部分はゲーム化出来ても、肝心なゲームシステムについてはまるっきり別物になるのがわかっているから。

メディアミックスとか抜きにして、本気の予算と人員で10年以上かけても作れそうにない感じの作品ばかりだし、だからこそやってみたいと思う。

ただ、ラノベしたっておいしい食べ物を実際に読者が味わえるわけではないのだし、ゲームでも表現出来る部分はあるような気がする。今後味覚出力などのデバイスなどが発達してくれば、またゲームに人が集まる時代もくるかもしれない。ゲームでなくアニメかもしれないし、新しい何かになるかもしれないけど。