ゲーム諸説

自分の中で諸説が飛び交っているゲームの話

ゲームの自由度について・2016年版

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自由度のあるゲームが好きで、どう考えても自由なゲームを遊んでるはずなんだけど、ちっとも自由な感じがしないことがある。自由度とはなんなのだろうか?

このブログの主題

ゲームの自由度というのはここ20年ぐらい考えていることで、まだ明確な答えが得られてないけど、いくつか考えていることはあって、書きたいこともそれなので、このブログの中身の大半はこのゲームの自由度に関する話になると思う。

昨日書いたのは"ダンジョン探索の自由"の話で、一昨日書いたのも"ウィンドウサイズの自由"の話だし。

自由度とは何か?

自由度が高いと言われてるゲームをやって自由だなと思って、自由度が低いと言われてるゲームをやって不自由だと思うのであれば、そもそもこんなこと考えなくて良かったので、何が自由度なのかははっきりわかってない。

ひょっとしたら求めてるのは自由度ではない別の何かなのでは? という疑問もある。

でも主観的な問題としては、自由を感じたゲームと、感じなかったゲームというのは存在しているので、そういう話を書いていく予定。

自由度の軸であろうと考えている要素

抑圧からの解放

最初から自由なものに対して、自由だとは感じるのは難しい。なにかしら自由じゃない状況があってはじめて、自由な感じを得るための前提条件が整う。

出来なかったことが出来るようになるから自由が生まれる。

この"出来なかったこと"というのは、そのゲームの話に限らない。もっと前にやったゲームでのことかもしれないし、ゲーム以外のことかもしれない。

たしかになんでも出来るけど、それが出来たからどうだって言うんだ……みたいな反応になるのは、その前提になる抑圧の部分が共有されていない場合ではないかと思う。知らないアニメの二次創作小説を見てもよくわからないのと同じように。その人がまったく抑圧されていないのか、抑圧されてきたポイントが違うのかはともかくとして、ともかくそのゲームをやる前に生じていた体験差があるから。

極端な例で言えば、子供の頃からゲームを禁止されていた人にとってみれば、どんなクソゲーでも解放の象徴になりうる。大人になってそれを手に入れた時に、歯止めが効かなくなってしまうというのも無理のないことだろうと思う。

ゲームの自由度を考える時には、あるゲーム1つだけをとりあげて、自由度があるとかないとか、そんなことを考えても仕方がないのではないか? ゲーム歴をはじめとした、そこまでの経験があるから、このゲームに自由を感じたのだ、という視点から考えたい。

ルールの上で目標を達成する

目標は必ずしもゲームとして用意する必要はないし、用意してあっても往々にしてそれを無視して遊ばれるものだけど、ともかくプレイヤーの中には目標があるし、それが完全になくなるとゲームをやめてしまう。

ルールというのは一種の束縛だから、できるだけ少ない方が自由なんじゃないか? と考えたこともあるけど、これがないとそもそも目標を達成するという過程がなくなり、必然的に達成感も得られなくなってしまう。ルールがないと、ただ自由なだけで、自由度の高いゲームにはならないという気がしている。

初めてプレイした、目標のないゲームというのはシムシティだったけど、この時は破産せずに作りたい街を作る、という目標をもってプレイしていた。市の状況に合わせて住民が増えたり、建設費や維持費がかかるといったルールがあったから、その目標達成が困難で、プレイにやりがいがあった。

もしシムシティにルールがなかったら、街の絵を描くお絵かきソフトのようなものになるではないか。ルール無しとまでいかずとも、ルールが緩すぎれば目標の価値がなくなるし、厳しすぎれば目標が達成不能になってしまう。

ルールだけあって目標のないものはゲームではなくシミュレーターと言われることもあるけど、シミュレーターはゲームとして遊びやすいルールである必要はないので、ゲームとして遊んでもらうことを前提にするシミュレーションゲームとは違いがあるのだと思う。

ゲームからのリアクション

何かをやりたいと思っていて、それが出来たとしても、ゲーム世界からの反応がなければ意味がない。

例えばゲームに透明人間になれる薬があったとして、画面上のキャラクターが見えなくなったとしても、街の人と普通に会話できたり、モンスターに襲われたりしたら、透明人間になった意味がない。見た目の変化はしているから、アバターの着せ替えの1つとしてはありえる。透明アバター。でも"透明人間"にはなってない。

オープンワールドと呼ばれるゲームでは、いろんな悪さが出来て、出来る悪さの多さが自由度の指標の1つになってるのかなと思うけど、ただ悪い事が出来てもしょうがない。(その世界の中で)悪いとされることをすれば悪いことをしたなりの反応が欲しい。会話が変わったり、パラメータが変わったり、仲間が変わったり。

悪いことをすると悪い人としての扱いを受ける世界になってはじめて、透明人間でバレずに悪いことをする、ということにも価値が生まれてきて、このゲームは自由だなと感じられる。

これは悪いことだけじゃなくて良いことでも同じことだし、善悪とは関係なさそう変化も数多くある。とにかくやったことに対するリアクションが返ってこないと、自由度の高いゲームだとは感じられない。

諸説あるので

これが現時点のおおまかな考えで、今後色んなゲームに触れたり、自由の感覚を得ることで、アップデートされていくだろうし、むしろしていきたいと思っているところ。

例えばリアクションの話はゲーム内での抑圧やルールと密接に関わっているから、その辺を組み合わせた別の考え方の方がしっくりくるかもしれない、とか。

なので2016年版。