街の人を殺せるのは自由度なのか?
洋ゲーは自由度高い、街の人殺せたりとかする……それは残虐なゲームであって、自由なゲームとは違うのではないか? 街の人が殺せることは自由度に寄与しているのか?
ノンプレイヤーキャラクター
NPCと書いてそう読む。街の人、通りすがりの冒険者、動物など、プレイヤーが操作不可能なキャラクターはそういう風に呼ばれる。
NPCが死亡する可能性があるのと、そういったプレイするかは別の問題
自由度の高いRPGとして、日本でもヒットしたOblivion。このゲームでは敵と住人の区別があいまいになっている。こちらの行動しだいで敵にもなれば味方にもなる。こちらが殴りかかれば敵になるし、対立組織の人間として突然襲撃を受ける事もある。
でも街の人を無差別に殺して回ったりは、しなかった。
しなかった理由はあるけど、まず好みの問題として、善人としてロールプレイすることが多いというのがある。街の人が死ぬということでは、むしろモンスターから襲われた街の人をどうやって守るかということに頭を悩ませていた。
そして悪事を働けばゲーム上で悪人として扱われるというのもある。悪事によって得られる利益もあるけど、善行による利益もある。善人で居るのが馬鹿らしくなるようなゲームデザインではなかった。
そもそもNPCに死なれると困る
Oblivionで無差別にNPCを殺害してしまうと、シナリオの進行が上手くいかなくなる可能性が高い。メインシナリオの重要人物だけは死なない様にになっているけど、サブシナリオの登場人物についてはその限りじゃない。Aさんにアイテムを渡してくれ……というそのAさんが死んでいた場合、話がそこで止まってしまう。
そして店主が死ねば買い物が出来ない。ゲームとして必要だから配置されているNPCが居ないのだから、当然ゲームに支障が出る。
これは他のゲームでも同じことで、なんらかの理由でNPCが死亡した場合、街に入り直すと復活したり、代わりのNPCが現れるような仕組みをとっている場合がある。
いっそNPCだけで魔王討伐したら良いのでは?
城門が壊れないんだったら城を守る必要はないし、シュートが決まらないならゴールを守らなくていいし、NPCが無敵ならプレイヤーがでしゃばる必要がどこにもない。
実際Oblivionの場合では、序盤死なないNPCが同行してくれて、たいして強くはないんだけど非常に役立つ。なので、そのまま順当にメインストーリーを進めずに、他の街を回っていくという裏技的なプレイがある。
もちろんそんな無敵のNPC達も、展開次第で死ぬのだけど、ゲームプレイが直接影響するのではなく、ゲームプレイの結果としてストーリーが動くという、ワンクッション挟んだ状態になる。
死ぬかもしれないNPCと共に戦うのはスリリングな経験になる。敵の大軍を打ち破った後、生き残っているのが自分だけか、たくさんの生存者がいるのか、ストーリーの進行上はまったく影響がなくても、プレイ体験には大きな差が出る。
ストーリー上の理不尽
誰が死んで、誰が生き残るかはストーリーが決めている場合、どんなにレベルを上げようが、真犯人を推理できていようが、作者が死ぬと決めた人は死ぬような構造になり、フラストレーションの原因になる。
悪人になんの懲罰も与えられないというのも、現実ではそうかもしれないけど、ゲームでそれは……っていう気分になることがある。そうならないために頑張ってきたんじゃないの?
殺した方が得になるゲームデザイン
聖剣伝説(初代・ゲームボーイ版)には、ブラッドソードで街の住人に斬りつけると、主人公のHPが回復するという裏技があった。
敵に攻撃がヒットするとHPが回復する武器だけど、それが住人にも間違って適用されていたのか、わざと残していたのかはわからない。そして何度斬りつけても住人は死なないし、普段通りに会話してくれる。 ……と思ってたけど記憶違いで、ダメージを受けた住人はいったん消えて、街に入り直すと復活していたらしい。実際に斬りつけていた人に聞いたので間違いない。
その結果として、街の住人を斬っても誰にもとがめられず、ブラッドソードで斬れば斬るだけお得な状況になっていた。
同じNPCが死亡するゲームであっても、それがゲームとして推奨されているかどうかは違うし、その違いはキャラクターの会話よりも、ゲームとしてどちらが得かで決まってくる。
ゲームシステムとしてNPCも死ぬ世界だけど、人殺しを推奨したいわけではない……という場合は、殺さないことに対して報酬を与えればいい。良い得点であるとか、良い仲間であるとか。そうすればプレイヤーの行動は自然と殺さない方向に誘導される。
殺せなくてもいいけど、影響は与えたい
自分のプレイで世界に影響を与える、というのは個人的に重視している要素、NPCにどの程度影響を与えられるかどうかというのは、自由度の指標の1つになる。敵か味方かはそんなにハッキリと区別出来るものではないと思うし。
でも必ずしも殺せる必要はないかなというのも思う。それによって別の自由度が下がる場合が多いから。
自由度が高いと言われるゲームほど、軸になるメインストーリーはシンプルになる傾向がある。複雑なストーリーと複雑な環境変化を両立させるのが難しいから。多くの登場人物が話に絡んでくる場合、そのうちの誰かが死んでるかもしれないというのを、全ての場合に考慮するのは難しくなる。つまりストーリー展開の自由度が下がっている。結局は無敵属性のNPCがやたら増えたり、侵入不可能エリアだらけになったりということになる。
ダメージを受けた後一定時間経過で復活する(ただし好感度が激減する)といった仕組みでも、無反応よりはリアクションがあっていい。ただメインイベントだと仲がいいのに、普段話しかけるとツバ吐かれるような複雑な関係になりがちだけど。
それと、アクション寄りのシステムだと、敵と戦っているうちに誤射をしてしまったり、仲間がすぐ死んだりして、1人で戦った方が得だという状況が出てくて、パーティー編成の自由が損なわれてると感じたことがある。腕の問題もあるんだけど、味方への攻撃を無効にするオプションとか、仲間のAIや能力値設定を調節するとかで、快適さは変わってくる。