ゲーム諸説

自分の中で諸説が飛び交っているゲームの話

フレーバーと自由度

フレーバー要素

味付けや香りを意味する言葉から、ゲームルールに直接関係ない要素のことをさす。ゲームルールへの味付けという意味。

ジャンケンで言えば、三種類の手を区別出来ることは必要だけど、それがグー・チョキ・パーである必要はまったくなくて、石・ハサミ・紙であっても、剣・槍・斧であっても、勝ち負けが三すくみになるように設定すれば、ジャンケンのゲームは成立する。

これがジャンケンに新しい手を1つ加えようという話になると、これはルールの追加なのでフレーバーとはいえない。

コンピューターゲームならCGや音楽といった要素は当たり前だし、NPCの会話などもフレーバーな物が多い。アナログゲームでもカードやボードのデザインは重要。高級将棋盤などは、それがあれば念じて駒を動かせるというわけでもなく、希少で手入れに時間のかかる木材や、職人の手作りなどの、フレーバーな部分の価値が値段に反映されている。

フレーバーな自由度

自由に変更が出来る、という話を聞いた時にまず気になるのが、その変更がフレーバーなものかどうかということ。

たとえば、自宅をカスタマイズ出来るというシステムといっても、ただ家具を置けるというのと、そこで食事を作ったり睡眠をとったり出来るというのでは、ゲームとしての意味合いが違う。宿代が不要になったり、HP回復量が変わったり、そういうゲームシステムに関係することなのかどうか。

スーパーファミコン版の"ウィザードリィⅥ"をやった時は、顔グラフィックが自由に変更出来て、ドット絵の編集機能がついていたものだから、ノリノリで顔グラフィックを作ったけど、それで能力値が変わったりはしてないので、フレーバー要素ということになる。

"Oblivion"の食料やベッドはほとんどフレーバーな存在。食料品には体力回復などの効果がわずかにあるものの、薬の方がずっと効果が高い。"トルネコの大冒険"のような空腹を表すパラメータはないので、傷を負っても薬だけ飲んでいればいい。ベッドで眠ることも出来るけれど、効果はその場で立ったまま寝るのと同じことで、そして何日寝なくても行動には支障がない。

これが同じメーカーが出した"FallOut3"の場合だと違う。食事についてはほぼ同じ扱いだけど、ベッドでの睡眠が飛躍的に重要度を増している。時間経過では体力が回復せず、ほとんどの回復方法には放射能汚染を伴う厳しい世界なので、睡眠による回復効果が貴重な物になっている。自宅や宿屋で寝ると経験値ボーナスまでつくので、"Oblivion"ではプレイヤーキャラがほとんどベッドで寝たことがなかったのが、"FallOut3"では毎日のようにベッドで寝ていた。寝なくても死ぬほどではないけど、寝た方が得になるというゲームルールが組み込まれている。

フレーバーが都合がいいこともある

例えば自宅に家具を置けるゲームで、色は自由に選べるとする。でも色ごとに評価が違っていて、その評価によって得られる収入が変わっていたら?

最高評価の色がビリジアンですと言われて、ゲームでそのような扱いになると、プレイヤーとしてはビリジアン家具を置くしかなくなる。

"ザ・シムズ"シリーズでは、家具には高性能から低性能まであって、それぞれ形も機能も値段も違うけど、色と柄の変更は自由に出来る。変更にゲーム内通貨も使用しないので、プレイにはまったく影響を及ぼしていない。服装についても同じ。フレーバー化してしまうことで、カラーリングの自由度が確保されている。

説得力と影響力

RPGでの武器や防具は、通常フレーバー扱いにはなってない。強さも価格も違う。ルールで重要なところだからだけど、武器によって強さが違うのは当然だろうというのには説得力がある。

ビリジアン家具の場合でも、ストーリー、つまり別のフレーバー要素によってプレイヤーの納得を得られるかもしれない。その国にはやたらビリジアンカラーにこだわる大臣がいて、その影響で各種の評価に影響が出ているのかもしれない。効果なのはドラゴンのウロコから取った塗料かもしれない。

仮に損得があるとしても、多少の違いなら好みを優先することが出来る。

極端な話、ビリジアン家具を置いたままの状態でないとラストダンジョンに入れないとなったら、これはもう選択の余地がない。家具をセットした状態でアイテムを取ればいいという話なら、一度だけそうすればいいから、やや影響度が小さくなる。

そこまでいかなくても、終盤まで資金繰りが厳しいゲームで、収支に影響を与えるようだと、実質的に強制と変わらない状態になる。青が知性を高めるなどとなれば、魔法系のキャラは青しか選べなくなる。

どちらが良いのか

ゲームにとってフレーバー要素な物なものだけど、自由度を考える上でも、その要素がどの程度フレーバーな物かということは大事な問題になってくる。

原則としては、ゲーム上として大事な選択をフレーバー要素の変更だけにしてはいけない、というより、フレーバーにした時点でそれは重要な選択ではなくなっている。

"ドラゴンクエスト5"で、ビアンカとフローラ、どちらを選んでも能力値が一緒、装備も魔法も一緒、ただグラフィックと背景設定が違うというだけだったら、未だにどちらを選ぶのかで揉めたりしてないだろうと思う。

行動の自由度に関しては、ゲームルールに組み込まないと意味がない。ルールに結びついていない行動というのは、ただ動いたように見えるだけで、何もしていないのと同じことだから。しかしルールとして組み込んでしまうことで、その行動が半強制的なものになり、ロールプレイとしての楽しみを阻害する場合がある。

見た目の自由度に関しては、あまり重要な意味合いを持たせない方がいい。髪を何色にするか、カーテンを何色にするかとった事は好みで変えたいところで、色を決める行動そのものに意味がない。これが自宅に邪教の祭壇を置くという話になると、それを購入する、置く、来客に見せるという行動の話に近づいてくる。